| 最近よく球が見えるようになったんですが、別に本塁打を狙っているんじゃありません。チャンスに必ず打てるバッター、これが私の夢なんです。 だから五回のチャンスに打てなかったのは本当に悔しかったですよ。 |
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| 昭和33年7月9日の国鉄戦。五回二死一三塁のチャンスに、キャッチャーフライに倒れる。 |
| ぼくはフォームで打つのではありません。気力で打つバッターです。だから会心の当たりが何本か続けばフォームのほうは自然と安定してきますよ。 | |
| 昭和34年3月22日。この日までのオープン戦打率が2割7分。特に低い打率ではなかったが、いい当たりが少なく、7日前に死球を受けたこともあり、不振が心配された。 |
| ぼくはね、子供たちのあらゆる会合に出て約束したんだ。ホームラン王になるってね。三割?三割はもちろんさ。今年はホームラン王。三割は打つ自信があるからね。 | |
| 昭和35年2月17日。昨シーズンは首位打者のタイトルを獲得するが、本塁打は3位に終わる。35年のシーズンは、ホームラン王と3割を狙うと公約する。 |
| 敬遠のボールを打ってやった。ノースリーからインハイにきたんだ。もちろん高いボールだったがね。これを得意の大根切りでガチンと打ってやったよ。 いや大根切りと言っちゃいけないんだ。ダウンスイングと我々の言葉で言わなくっちゃ。 |
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| 昭和36年6月23日。6月20日の阪神戦で、敬遠のボールを強引に引っ張り三塁線を破るヒットを放つ。 |
| 外角球を全部すてて、この辺ばかり狙っていた。それがピシャと決まった。 はじめにアゴのあたりに投げられてひっくりかえったでしょう。コノヤロウと思って、それでも逃げずに向かっていったんですよ。 |
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| 昭和36年7月23日。九回裏1対1で長嶋がバッターボックスに立つ。カウント2−1でアゴ付近に速球を投げられ転倒する。その後レフトスタンド中段へサヨナラホームランを放つ。 |
| 優勝は可能かというんですか?可能、不可能の問題ではないんです。石にかじりついてでも優勝しなければいけないんです。 | |
| 昭和36年7月28日。マスコミからの「優勝はできると思うか?」の質問に対して。 |
| 球がスーッと入ってくればガンと打つ。今日のホームランは3本ともそれです。ヤマをかけず、打率のことも考えず、スーッとくればガン。これですよ。 | |
| 昭和37年7月19日。打撃不振の長嶋が、この日のダブルヘッダーで3本のホームランを放つ。試合後のインタビューで無欲のバッティングを強調する。 |
| 僕はね、現在に満足できないたちなんだ。三割打ったら三割五分と常に大きな希望を持っているんだ。そうでなければ進歩もありえない。 それにしたってことしはねー。体力的にも転換期かもしれないな。もちろん30を越すまではバリバリ働ける自信はある。ただ入団当時のイノシシみたいに突進するだけの年ではないということだ。 |
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| 昭和37年10月29日。入団5年目のシーズンを振り返る。 |
| チョンと出したらうまいことセンター前にとんだ。あれからすっかりうれしくなって、なんだか気持ちがチョンチョンしちゃったよ。 | |
| 昭和38年9月14日。右手薬指の死球によって6試合ぶりの出場となったこの日、その初打席でヒットを放つ。 |
| ぼくが箱根で一人トレーニングをするのは自分と戦うためだ。もちろんシーズンを常にベストで過ごすだけの体力をつけるのも目的だが、それ以上に、自分に勝ちたいからさ。寒い雪の中でトレーニングをすることによって強い意志をつくるんだ。巨人魂というのはこれですよ。 | |
| 昭和39年1月9日。昨年につづき箱根で山ごもりを行う。 |
| 最後にボテボテのゴロなんかになってケッツーにでもなってたら、俺は気が狂っていただろうな。 今ごろはきっとスパイクでロッカーのドアを思い切り蹴飛ばしていたに違いない。まったくあのヒットはいい一発だった。ロッカーも俺も無事だったんだからね。 |
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| 昭和40年6月7日。この日、4打席いいところ無く凡退。しかし最終打席でバランスを崩しながらもサヨナラヒットを放つ。 |
| 九回はなにがなんでもぶつかっていくつもりだった。門岡の球はアウトコースの直球だったと思うが、俺には真ん中の球に見えた。 こんなに意識しないでいい当たりを打てると、気分がスカッとする。 |
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| 昭和40年8月8日。中日戦。今シーズン3本目のサヨナラ安打を放つ。 |